雪遊び・かんじき合宿

皿回し先生・早川たかしのわんぱく・やんちゃ子育て宣言

「かんじき」って知ってますか
 今年も平地では雪が少なく かまくらや雪だるま作りなどの本格的な雪遊びをすることができませんでした。標高400メートルに位置する「子どもイタズラ村」では、1,5㍍を超す積雪があり、家屋・遊酔亭はすっぽり雪につつまれました。この合宿は「かんじき合宿」と名付けられていました。みなさんかんじきを知っていますか。知らない方の方がが多いと思います。写真①にあるように長靴のしたに(付ける)履くものです。それを履くと長靴が深い雪の中に沈まないで、雪の上にしっかり二本足で立つことができるのです。ですから、それを履けば雪がたくさんつもった日に雪すかしをしなくても道路まで歩くことができます。雪深い山に登ってウサギやタヌキの狩りができます。捕まえたウサギは村人の大切な動物性のタンパク源になったそうです。そんな具合で、かんじきは村の生活になくてはならない生活道具でした。構造は簡単ですが今ではそれを作る人も少なく、高価な(5,500円)ものです。山里の人ですら もう履かないことのほうが多いと言われ、もう民芸品とでも言った方が良いかもしれません。さて、かんじきの説明が長くなりましたのでこれくらいにします。

お父さんがかまくら作りに夢中
 さて、2月9日(土)12時に17人が親子合宿に参加しました。一番年下は2才のメグミ、4才チハル、6才のアキノブ3人のお母さんのユウコさん。7才タツキと母さんのさとみさん、お父さんのタツヤさん。12才のお姉さんカナコとその弟の8才コウタロウ、お父さんは夜のみ参加だった。9才のカズキ、10才のケイタ、11才のユウキは一人で参加。
子ども9人保護者3人スタッフ5人の合宿です。昼ご飯を済ませた頃に、婦負森林組合長の北山虎雄さんにかんじきを履く指導をしてもらうことになっていました。一本のヒモを長靴にうまく縛り付けると、かんじきが履けたことにまります。深い雪の上を長靴で歩くと、「こぼっ」て長靴が雪に埋もれて歩けません。それどころか、靴の中に雪が入ります。ですから、履いた子どもたちは北山さんの指導でゆっくり雪を踏みしめ歩き出しました。急いで歩こうとすると、足と足がもつれ合ったり、からまってまるで倒れてしまいます。ですから、子どもたちは「赤ちゃんにもどった」みたいにゆっくり雪の上の「行軍」をしはじめました。
 イタズラ村のある山里は、野積川で形成された小さなV字谷の集落です。田んぼや畑や道は急斜面に作られ坂や崖が少し歩けばどこにでもあります。子どもたちはビニール製ソリを持って滑ることに余念がありません。30分もすると北山さんは役目を終えていつの間にか姿を消していました。 子どもたちがソリで遊んでいる間、今回ただ一人、お父さんが参加していました。仕事は銀行マンということでしたが、かまくら作りにはまってしまいました。私と斉藤君(男性スタッフ)が手助けし高さ約2㍍巾2㍍×奥行き2㍍のしっかりしたものが4時間で出来上がりました。大人の作ったかまくらに子どもたちはまるで自分が全部作ったような顔をして入ってきます。お父さんはぐったり顔ですが、子どもたちの前ではちょっぴり自慢顔です。食事が終わって8時頃、かまくらにろうそくの火をともしました。かまくらにいくつかの小さな穴を作りそこにもろうそくをともしました。星あかりだけの夜空をバックになかなか幻想的な感じです。若いスタッフ達と子どもたちがその中に入り「宴会」がはじまりました。時々お母さんやお父さんもその仲間に加わっていました。

かんじきで雪山登り
 次の日の午前10時、私たちはイタズラ村のある集落からもう少し上にある「赤石」という集落へ出発しました。そこには沼田さとしさんという友人が一家4人で住んでいます。家の裏はもう急峻な800㍍級の山につながっています。雪の深さは2㍍以上はゆうにあります。かんじきをはいてこの山に登ることにしました。一面の銀雪です。沼田さんちの小学生の姉妹が道案内をしてくれることになりました。さすがにかんじきを履くとごぼりません。雪原に何かの足跡を見つけました。姉さんの響ちゃんがタヌキとウサギの足跡をそれぞれ教えてくれました。小さな掘っ立て小屋がありました。つららが下がっていました。私がとってなめるとみんな真似しました。雪になれてきた子どもたちは梢に積もった雪を落として誰かに掛けたり、雪庇(せっぴ)があるところから下に飛び込んだり、坂をころがったり。もちろん雪合戦も。パウダースノーをかけ合うと、子どももまつげにに白いものが付いて老人になってしまいます。15人がそれぞれの戯れ方をして遊んでいます。まるで子犬がじゃれつきながら遊んでいるかのようです。遊ぶには道具もなにも要るらないのです。それでも遊べるのです。沼田さんの奥さんが熱い番茶と干し芋(千葉県産)を差し入れてくれました。凍空に太陽の光りががさし込んで青空が見えはじめました。干し芋の素朴な味をかみしめながらのお茶は最高でした。自然ていうのは、こんなにも人に幸せを与えてくれるのだなと改めて感じさせてくれました。

たかしの雪の想い出
 私(57才)が小学生の子どもだった時代はもう半世紀前となってしまった。平野部でも2㍍の積雪になる豪雪の年があった。冬は子どもにとって自然の厳しさも教えてくれたが、豊かな遊びも与えてくれた。豪雪の年には、3月になっても50㌢ばかりの宿雪があった。その雪が夜間の冷え込みで、雪が固く凍って辺り一面「堅雪」になります。宮沢賢治の物語「雪渡り」の風景です。「雪がすっかり凍って大理石よりも固くなり」、「いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄も行けるのです。平らなことは まるで1枚の板です。」と、そんな感じです。子どもが乗ってもごぼることなくどこへでも歩いて行くことができまた。学校へ行くのに道路を歩かなくても畑の上や隣の家の敷地を歩いて行けるのです。いつもは決められた道を歩かなくては行けないのにこの時ばかりは、自分が歩くところが道になりますし、道にできます。土を踏まないで、まるで空を歩いてでもいるような空想的な気分になります。子どもの頃の呉羽町はもう町でしたから、家も多く賢治の童話に出てくる子狐の「紺三郎」と出会うことはありませんでした。でも「赤石」だったら今でもきっと紺三郎と出会えると思うのです。
 こう考えて来ると、かまくらも雪渡りも雪だるまも厳しい自然の中で人が生きるために、自然を「敵」としてだけ付き合うのではなく、仲良くするためにやったことかもしれません。そうでなくては人は生きることができなかったのでしょう。
 現代私たちが「遊び」という時、「消費=お金」がつきまといます。スキーもスキー場で遊べば格好良く滑ることに限定されます。でも、それはもう遊びではないのです。遊びは本来地球の上で自然とどう生きるかといったような、哲学的な問いを私たちに課しているような気がします。


あそびは哲学?
 合宿が終わってすぐ参加したお母さんからFAXが届きました。
「すごく楽しかったです。早川先生、スタッフの皆さんがご飯を用意され、なにも家事をせず、遊ぶだけの2日間何とありがたいことか。その半面真剣に遊ぶことの難しさも感じた日でした。今回主人は巨大かまくらを一人で掘り、爽快だったそうです。(略)夜、囲炉裏を囲んで 先生達といろいろ話、時には凍てつく寒さの外に出て星空を見て、空がこんなに近くに感じたのはすごく久しぶりで、自分はこんなにちっぽけだけど、これらの星に見守られて生きているんだと気づかされました。二日目のかんじき歩きで山やまの景色を見ながら、お茶をのんでいたときも、今この瞬間を生きているんだなとしみじみ感じました。本当に気付きの多かった二日間でした。」
 子育てに悩んで一家三人で遊びに来たお母さんもやっぱり哲学していました。子どもイタズラ村での遊びは偉大です。????????
 合宿にはいろんな「課題」をかかえた子どもがやってきます。学校へ行ってない子、発達障害と呼ばれる子、など。保護者もろりいろです。子育てに自信のないお母さんもいれば、「こんなところへきて 時々しっかり子どもを意識的に育てないと、現代の子育てはうまくいかない」というお父さんもきます。でも、ここでは、何しろとことん遊ぶだけです。


 
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